(2022/07/04 感情のままに書きすぎてネットに流せる文章じゃなかったのでそれなりに書き直しました。以前のもので気分を害された方々にお詫び申し上げます。)
こんにちは。はじめまして、もしくはお久しぶりです。5推しです。
BULLET TRAIN 10th Anniversary Super Special Live
「DANCE DANCE DANCE」
@さいたまスーパーアリーナ めちゃくちゃ楽しかったなーーーーー!!!!!
https://natalie.mu/music/news/454737
の気持ちで久々に筆を執りました。
コロナが始まりだしたくらいから私生活で色んなことが重なってしまい…苦しい時期の超特急をあまり支えられなかった罪悪感がずっとあったけれど、とりあえず今からとり返したろ!!と思えるようになった、そんな多幸感あふれる前向きで堅実なライブでした。
あと久々に会場に8号車しかいないライブを味わえたのも嬉しかったな〜。ペンラ芸を見て実家に帰って来たような安心感を覚えた。それに手持ちのFCポストカードがたくちゃんだったのに3推しのお姉さんがユーキさんと交換してくれて…。そんなことしてくれるのこの界隈だけだよ。ビスコ何枚なの?ってくらい優しいよ。
そんな大変楽しいライブでしたが、題名の通りです。
SSAに席番が無かった、私のフォロワーの話。
超絶仲良しなのでもう普通に友達なのですが、Twitterで出会ったのでこだわりとして「フォロワー」と呼びます。
フォロワーは数々の逸話を持つ5推しです。
パワーワード製造機で、発言がその日のライブどころかそのツアー期間中引きずられることなんてざらにあって、細部確認を目的とした画像の拡大、理性を無くした状態での生写真の購入を繰り返しながら、ライブの会場やその後の居酒屋、泊めてくれたフォロワーの家に行きました。連番ももちろんしてる。
そこでライブの感想やらEBiDANの話やらその他諸々と若干の下ネタを話していると、何度も息が苦しくなるくらいゲラゲラ大笑いしてしまう。
「オタクと飲む酒って何でこんなに楽しいんだ?てか貴族焼の年間消費量の半分はオタクなんじゃないか?」
そんなことを言いつつ、赤や5といったユーキさんの概念に囚われながら心を燃やす生活をそれぞれ過ごしていました。
また、興味のあることや将来やってみたいことも似通っていて、そういった現実の話もたくさんした。shake bodyの一節
「社会は敵だらけでも素敵なことが あると信じていれば必ず 僕らに会えるから」
を共に心のタトゥーで刻んだ仲です。
そんなユーモアあふれる一面もありながら、心遣いが細やかな部分もあって、優しくて、大好きなお姉ちゃん。
環境が新しくなったフォロワーはなんだか大変そうで、私はLINEをしたりTLで見かけた時はリプしたりして話していました。
「お互い落ち着いたら会おう。」「コロナが大丈夫になったら会おう。」
ですが状況はご存知の通りなかなか終息に至らず、超特急のライブも中止や延期、オンライン開催が相次ぎました。
次のライブでは超特急と8号車にやっと会えるかな、そう思っても叶うことのない日々。
(ここから人の命に関わる描写があります。)
フォロワーとの共通の友人からDMが来たのは、今年のある大雨の日でした。
人って、本当に驚くと自然と手が震えるんだと知りました。
記憶にある一番最後のやりとりは今年2021年の春に私から送ったバカみたいな下ネタで、でもそれももうありません。
そんなことあるんだ。フォロワーはもう存在しないんだ。人ってこんな突然いなくなっちゃうの?
理解が追いつかなくて、でも涙は止まらなくて、そんな日に私は就活の遠征でホテルに1人。
翌日には私の面接と、フォロワーの告別式がありました。
フォロワーのところに行くためにこれから家に帰るとしても、終電まであと1時間。
笹食ってる場合じゃねえ!と飛び出していきたいけど正直1人で冠婚葬祭に出たことが無いし、唸りながら準備したエントリーシートには消しカスがまだくっついている。
本当にそれでいいの?
状況を目の当たりにする覚悟がないよ。
現場は「今行かなきゃいつ行くんだ」って行くくせに。
私はあの子に何をしてあげられたんだろう。
メガネのレンズがビショビショで、寂しくて悲しくて自分自身がどうしようもなさすぎて、外の大雨が自分に降り注いでいるみたいだった。
どっちにしろ机は一回整理しなきゃダメだ、と対策資料をまとめ始めて、ふと明日の受験番号が目に入りました。
翌日、私は試験を受けました。
フォロワーはこんな時でも私の心配をしてくれる。
あと5推しはこんな時でも圧が強い。
「運命まじかよ」って、こういう時に使うんだろう。
SSAのちょっと前に、会いに行くことができました。
Twitterのようわからんやつへの知らせを許可してくれた、そして私が会いに行った時に、Revolution viva以来の再会を快く迎えてくれたフォロワーのご両親。
そして、辛い中連絡をしてくれた、何度も話を聞いてくれて、わがまま言ってご実家まで連れて行ってくれた共通の友人達。
ここで感謝申し上げます。ありがとうございます。
フォロワーに会ってきた帰り道に乗った電車は結構海沿いを走る列車で、感じる風景は私の育ってきた所とは全く違っていました。
打ち寄せる大きな波。
列車の中まで漂ってくる潮の匂い。
右手は海なのに左手は夏の色香を残した山々が広がっていて、2枚の写真の間を進んでいるようだった。
フォロワーの地域の海は緑がかった青なんだと思ってたけど、あれは地域性じゃなく、単に波が岩にぶつかってできる色だと最近知った。
きっと、あそこはつめたい。
あの中に飛び込めたら、またフォロワーに会えると思った。
そう思って、目をつぶって、履いてたものを脱ぎ捨てて、つま先から波に浸していく。ほんとのほんとに居なくなりたくなると、それ以外のことは何も考えられなくなるから不思議だ。
でも、当たり前だけど足は温度なんて感じなかったし、顔にかかる水しぶきは生ぬるくて、拭ってもきりがなかった。
そしたらなんかお腹が空いてきて、私は隣に人がいないのをいいことに、香典返しを開けて食べ始めた。(消毒もしたよ)
中身は地元の和菓子で、手で摘んで食べられるのが有り難かった。美味しくて、またメガネのレンズがびしょびしょになった。
きっとあの海はつめたくて、フォロワーがいるところに1番近い場所。
でも私はこの電車に乗って、もりもりお菓子を食べて、帰らなきゃ行けない。生きなきゃいけない。
無性にユーキさんに会いたくなって、そのあとずっとYouTubeで超特急を見てた。
死ぬほど酔った。
超特急と出会って「己の人生とコンテンツが並走してくれる」感覚を知りました。
https://natalie.mu/music/news/454737
この写真にいる8号車全員に、そんな「超特急を好きになったから得られた経験」があるのでしょう。
意味わからん曲が脳内を駆け巡るようになった。毎日がhappyになった。年代も住む場所も職業もバラバラの友達ができた。ペンライトを何本も持って踊り狂う楽しさを知った。(早くコールもしたい!)
そして、私がフォロワーに出会えた。
あの写真の中にフォロワーもいたら、いや、いると思います。
チョロオタですから地縛霊などにはなっていないでしょう。きっといつでも良席、いつでも連番。全通だってしたっていい。最高だね。
ただ楽屋には入らないでくれ。頼むぞ。
これから超特急のライブがある限り、どこかにいるフォロワーが「素敵なことがある」と無条件に信じられますように。
結局私は、SSA終わって、春の兆しが訪れ始める頃くらいまでフォロワーとの別れが理解できませんでした。
いや分かってはいるんだけど「この状況はフォロワーがどっか遠くに旅してるのと何が違うんだろう」と。永遠にネタバレが来ないドッキリの中にいるみたいだった。
でもいないんです。
いやいるけど、私達が前みたいに笑い合うことはもう叶わない。だってそうやってちゃんと向き合わないと、今度は私が誰かを悲しませてしまうから。
超特急はいろんなことがあった時「前に進まなきゃ」って言ってたけど、こんなに苦しいことなんですね。
最後になりましたが、超特急の皆さん10周年おめでとうございます。
いつも勝手に助からせてくれて、ありがとうございます。
超特急さんの沢山の努力と、少しの運命まじかよのおかげで、私はペンラを振れています。
マジで100年続いてほしいと思ってるので、お互い無理しすぎず、心身ともに健康でいようね…。
これからも人生の並走、よろしくお願いします。
ユーキさん、私たちもあなたのこと愛してるよ。